2014年3月29日 星期六

稲上四郎,《孝経》(大阪:日月書院、昭和九年十月廿五日五版)

稲上四郎,《孝経》(大阪:日月書院、昭和九年十月廿五日五版)

頁一

親が子を愛し、子は親を敬する道は、自然であり、本能である。然るに、この自然の道を、長ずるに従って人は忘れる。然り、忘れるのですあ。放棄したのではない。古聖の説いた、この孝経に依って、親子の道を再認識して戴きたい。
親愛子,子敬親是自然之道、本能。可是,自然之道,人在長大後就忘了。然而,忘了,郤不能放棄。依古聖賢所說的孝經,再次認識親子之道。
この経に説くが如く、親子の愛を押し弘めて、他人に対し、親子の愛を以って処世の道となし、政治の基礎とする、その結果は自づから明白である。
   如此經所說,將對親子之愛擴大,對他人如愛親子,成為處世之道,作為政治基礎,自己就明白這個結果。
頁二
約千三百年前、天平宝字元年、時の朝廷、孝謙天皇には、詔勅を下し、賜ふて、孝経 、一巻を、各家に蔵せしめ朝夕誦習せしめられた。以後、皇太子殿下の御読書初めには、この経を用ひられたこと歴史に明白である。
大約一千三百年前,天平寶字元年(757,當時的朝廷孝謙天皇,下詔賜孝祳一卷,要各家收藏並朝夕誦習。以後,皇太子殿下在開始讀書時,讀此經,可以明白其歷史。
鎌倉時代にも、将軍家では、同じ読書初めには必ずこの経を以ってした。要するに、人として完然なる人格の修養には、この経に比肩するものは絶無と云って好いからである。
鎌倉時代在將軍家也是,在開始讀書一定要讀此經。主要是,要培養一個人完全的人格,沒有比此經更好的。
明治に入り、漢学衰へ徒らに欧米文化の模倣に流れ
進入明治以後,漢學衰退,只是模仿歐美文化
頁三
この名経も又顧られず、而して親子の道も次第に悪化しつゝあるの時、今一度、この経を家庭に容るゝ必要なきか。日月の光は永遠である、親子の道も同じく永遠だ。父子兄弟、孝経の注釈も少くはない、が、多くは徳川時代の出版であり、現代人には不向きな処が多く、解釈に窮屈な点が見受けられる。其処で、なるべく平易簡明になるべく支那の例を避け、初学者でも容易に本文の精神
也不注意此名經,然而親子之道也次第漸漸惡化,今再度,於家庭沒有必要有此書嗎。日月之光是永遠的,親子之道也是同樣永遠的。父子兄弟,孝經的注解也很少,多數在德川時代出版,現代人多對此沒興趣,是受到解釋的困境。在這裡,應以平易簡明來解釋,避掉中國的例子,即使初學者都能容易理解本文的精神
頁四
に直入し得るやう注意をした。それは孝経が支那に生れこそしたが、日本で育ったものであるからだ。日本人に依ってのみ、その教の精神に到達じ得るものと信ずるからである。
此孝經是在中國產生,但在日本孕育。只是依日本人的解釋,相信可以達到此教的精神。
昭和九年八月

                       編者識